マタタビなげこみたくなる衝動

飛び越える


同じ街。
同じ場所。

私も、みんなも猫なのに。

同じものを見て。
同じようにしていても。

別世界のように感じる。

すぐ傍にいるのに。
手を伸ばせば、届くのに。

そこに何かがあるとすれば。

境界線。

向こうとこちら。
みんなと私を、隔てるもの。



白く、しなやかな猫。
誰よりも早くにゴミ捨て場にやって来る。
満月には少し足りない今夜も…彼女はひとり、静かに踊っていた。

そして、他でもない彼女に会うためにもっと早くからここにいた縞模様の猫は
物事の順序というのも考慮して…彼女が踊り終わるのを待った。

まだ月は低く、彼女の全身を照らすには少し足りない。
もっと高く昇ったら、きっと彼女の白い毛並を銀色に輝かすに違いない。

けれど、いつも月が真上に昇る頃にはたくさんの猫が集まって来る…
彼女はその少し前までしか踊らない。
何匹かのメス猫は、彼女と言葉を交わしている。
しかし、彼女は積極的に話す方ではないので…
みんなは彼女がこうして踊っている姿さえ知らないのだ。

静かに、ゆっくり、両手を広げて…何かを求めるように。

いつも同じ場所で。
遠くを見つめて。
彼女には何が見えているだろう。

「…こんばんは、ヴィクトリア」

オーブンの側に座って、やはり静かな動作で顔を撫で始めた彼女に、ようやく声をかける。

心持ち、大き目の声で。
彼女の友人である若い三毛のメスにならった通り、彼女の右側から近付いた。
「こんばんは、マンカストラップ」
小さな声で応え、表情はほとんど変えずに…しかしふわりと笑ったようだ。
その笑顔に嬉しくなり、一緒ににっこり微笑む。
「隣に、いいかな?」
彼女はこくりと頷いて、伸ばしていた白い尻尾をくるりと自分の身体に引き寄せ、右側を空けた。

とてもキレイだったよ…と、飾らない言葉で感想を述べる。
ヴィクトリアははにかんだように下を向いて、
目線だけを隣のマンカストラップに戻すと、小さくありがとうと呟く。

「…俺のほかに、君が踊ってるのを知ってる猫はいるかな?」

錆びたオーブンを背にして、星空を見上げるマンカストラップ。
それを見たヴィクトリアも視線を上へと向けた。

「…オールドデュトロノミー」

この街へ来て…ほとんど言葉を話さなかった彼女は、その年老いた猫の前で踊って…そして、名乗った。
人間に呼ばれるものではなく、自分で見つけたその名前を。

「そうか…みんなと踊るのは好きじゃないか?」
努めて明るく、少し大きな声で話す。
「…やってみたことないわ」
だから、好きかどうかは分からない…と言って俯く。

「…私のこと、ジェミマやジェリーロラムに聞いたの?」

初めて、彼女の方からの質問。

「ああ。だけど、俺の方から尋ねたんだ…気を悪くしたのなら、謝る」

彼女達も戸惑いながら教えてくれたのだ。
この街へ来て日の浅い、大人しい白い猫。
彼女は耳が…特に左耳が、よく聞こえないのだと。
だから、彼女に話しかけるなら右側からが良いのだ。

「いいえ、気にしないわ」

彼女達のことだ。
きっと思いやりを持って、この優しい猫に話してくれたに違いない。
そして、皆がリーダーにと認めるこの猫が自分を気にかけてくれた事も、とても温かく感じたので…

「…マンカストラップ」

自分よりもずっと多くを見ている猫に、訊ねてみる事にした。

「うん?」

「私とみんなの間にあるのは、何かしら?」

縞模様の横顔を見上げ、耳をぴんと立てて、返答を待つ。
みんなに慕われるこの年上の猫ならば、答えてくれる気がした。
自分で持っている、この“問い”に対する“答え”以外のものを、くれる気がした。

「みんな、というのは…ここに来るみんなの事か」

目を閉じて、マンカストラップは彼女の疑問について考えを巡らせた。
自分の思うところを、言葉にするために。

「なにもないさ」

ぽつり、よく通る声が告げる。

「間には、なにもないよ」

己の内側を覗いていた彼の目が、今度は傍らの白い猫を見下ろす。

「ただ君も俺も…みんな、持っているものは違うから」

お互いの“持ち物”を見せ合って、それを認めるには、少し手を伸ばさないと。
間には何もないが、時にその“間”は、とても遠く感じるものなんだ。

「けれど、お互いを隔ててるものなんてないさ」

集う仲間を見守るときの、まっすぐな目。
その目が今は自分だけを映しているのがとても不思議に思えた。

「…そうかしら」

ヴィクトリアは視線を落とし、マンカストラップとの間の地面をまっすぐに爪で引っ掻く。

「境界線…みんなと…あなたと私の間にも」

人間との暮らしだけならば、気に留める事はなかった。
猫と関わって生きていくことなど、できないと思っていた。

けれど。

出会って、名前をみつけて、月夜に踊ることを覚えた。

「もし…みんなと同じように、聞こえたら」

軽い跳躍の気配。
唸るような低い声。
高く跳ぶ瞬間に地面を蹴る音。
囁くような歌声も。

「ひとりじゃなくて、みんなと声を合わせられたら…」

どんなに素敵だろう。

「…本当に、ないのかしら、ここには何も」

自ら引いた線を見つめ、もう一度指でなぞって首を傾げる。

その様子を、マンカストラップは複雑な気持ちで見つめた。

彼女の抱えるもの。
明らかな周囲との差。

しかしもう、それを背負うべきは彼女ひとりではないのだ。

マンカストラップは立ち上がる。
寄り掛かっていたオーブンの陰から、月明かりの下へ踏み出して振り返る。
少し身を屈めて、右手を差し出した。

「もしそこに、君とみんなを隔てる線があるとしても…」

深い溝ではない。
高い壁でもない。

「越えてきたらいい」

陰から出て。
月光の下へ。

マンカストラップの顔と手を交互に見るヴィクトリアの目は、暗がりにいる為かきょろりと光った。

「君が聞こえない分を、俺たちが聞く」

座っていたヴィクトリアは一瞬だけ、泣いているように見えた。
しかし、すらりと立ち上がった彼女の顔に、翳りはない。

差し伸べられた大きな手に、真っ白く細い指が乗る。
月は高く昇り、白い姿を銀色に見せる。

小さく地面を蹴って、飛び越える。
そこに確かにあったのは…境界線。

マンカストラップは、輝いた白い身体を抱きとめて。
そのままくるりとターンしてから、持ち上げた。
銀色の彼女は、しなやかに腕を広げてそれに応える。
耳から爪先までが、ゆっくりとしたリズムを持って動くのが分かる。

飛び越えて。

その先には?

ヴィクトリアは、身体を支える腕が、てのひらが、まるで自分自身のように感じられた。
誰かと一緒に踊ったことなどないのに。
もっとずっと、難しいことのように思っていた。
他の猫達がこうして踊っている時も、こんな風にお互いを近く感じているのだろうか。
そうだとしたら。
それを知らずにただ眺めていただけの自分は、みんなと同じものを感じられるはずがなかったのだ。


高く昇った月は、2匹を照らす。
雄々しい鈍い銀色と、まばゆいほどの白銀と。

満月には少し足りない夜。
高く上がった細い脚は、再び地面に下ろされて。

「…ありがとう、マンカストラップ」

握った手を緩めながら、ヴィクトリアが薄く微笑む。

「やっぱり、私にはあったわ…境界線」

だけど、飛び越えてきた。
振り返っても、そこに何もない。
ただ、前を見ればそこには多くがある。

「でももう何もないの…あなたが言ったように」

そう言って、月明りの中で笑うヴィクトリア。
それを見て、少しくすぐったいような気持ちになるマンカストラップ。



「いやしかしお前のやる事にゃあ、色気がねぇ~よ、色気が!」



オーブンの上にひらりと降りて来たのは、たてがみを翻す派手な猫。
仮にもメス猫を持ち上げるのに、あの硬さはないだろう…と、滅多にやりもしないくせに語った。

突然の気配に驚く2匹。
そして、マンカストラップは周囲の状況に気付く。
「…みんな、来てるなら声をかけたらいいだろうっ」
いつからだろう、タガーだけでなく殆どの若い猫の存在に気付かなかった。

「……だって…ねえ?」
ひょいと廃車の陰から顔を出したのは、ジェミマとタントミール。

「いい雰囲気だったから、お邪魔しちゃいけないと思って」
続けてジェリーロラムが出てきて、ヴィクトリアを覗き込んで微笑んだ。

マンカストラップは照れくさそうに、古タイヤに飛び乗る。
ジェリーロラムに連れられて来たらしいシラバブが、マンカストラップの腕を抱きついた。

「ねえマンカストラップ、こんどはわたしともおどって?」
ごろごろと喉を鳴らす子猫の頭をそっと撫でて、困ったように微笑む。
「…俺より、コリコやカーバの方がじょうずだよ?」
「ううん、マンカストラップがいいの」

「モテモテじゃねーか、リーダー」
ニヤニヤと見下ろしてくるタガーをちらりと見てから、マンカストラップは溜息をついて座る。



月のキレイな夜なので。
猫たちがいつも通りに集まってきた時には、銀色の2匹が踊っていた。

いつもはみんなが楽しむのを見ているだけのマンカストラップが
今まで誰かと一緒には踊らなかったヴィクトリアといたのに驚いて。

とてもキレイだったからもっと見ていたいと思った事は、誰一人口にしない。
でも、そう感じたのが自分だけではないと…誰もが知っていた。

メス猫たちが真っ白い猫をぐるりと囲んだ。
中心にいる白い猫は、今までにないくらい楽しそうに微笑む。


「ひとりじゃなく踊るのって、素敵ね」


境界線。


この街で、たくさんの猫に出会って。
自分の名前を見つけて。


導かれて、飛び越える。


この話…+猫創作者さんに22のお題+の一つとして書かせていただきました★
楽しかったです!


【ひよこ】
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