マタタビなげこみたくなる衝動

古びたネオンの鳴る音


今日はいい天気だった。
こうして穏やかに日が暮れていく。

それなのに。

何だか胸騒ぎ。
もし僕が魔法使いだとしたら…これもその能力のうちなのかな?
だって、漠然としたものじゃなくて、すごく具体的にイヤな予感。
他人事のようなものではなくて、思い出したくない過去を見せ付けられるような圧力。

誰かが来る。
良くない知らせと共に。

「ミストフェリーズ!」
コッソリ家を抜け出して敷地の外へ踏み出した時、やってきたのはラムタムタガーだった。
「マンカストラップに会ったか?」
首を振って、胸騒ぎがするから家を出てきたのだと伝えると、小さく口笛を吹いて肩をすくめる大きな猫。
「ヤツが必死こいてシラバブを探してる、ケンカした後に戻って来ないんだと」
まったく…と文句を言っているが、付き合って一緒に探してるのだから口先と気持ちは別ということだ。
2匹並んで、小走りに街の中心へ向かう。
「あの2人、ケンカなんてするの?」
マンカストラップがシラバブをたしなめている程度ならよくある事だ。
しかしそれは目上が子供を躾けているに過ぎない。
「たまーにな…いつもはシラバブがジェニーのとこでメソメソして終りだよ」
小一時間あればお互いに“ゴメンナサイ”して元通り…な筈だったが。
「どっかで寝こけてるんだろうって言っってやったんだけどな…」
タガーは小さく舌打ちして、さっきより真剣な顔になる。
他ならぬミストフェリーズが“胸騒ぎがする”などと言ったので。
そしてミストフェリーズは何かを覚悟して、きりりと目線を上げた。

確信はない。
けれど、暮れていく空を見て予感したのは、他ならぬ己の心と向き合う痛み。
仲間が傷つくような事ではないと思えた。
シラバブはちゃんとみつかる。
ただ、確信はない。
もやもやとした感情は、ただの動物のカンなのか……それとも本来、猫などが持ち得ない能力か。
大丈夫だと思うのだが、そう言っていいものかどうか迷う。

「…ん、ちょっと待って…」
ぴたりと脚を止める小さな黒猫。
「どうした?」
タガーが振り返ると、ミストフェリーズは低く唸ってうずくまっていた。

耳鳴りがする。
聞き慣れない低い音。
よどんだ空気。
決して狭くはないが、暗い路地。

ああ、やっぱり。
僕には普通。
でもみんなには?
行きたくない場所。
けれど、行かなければならない。

想いに苛まれていたのはほんの一瞬…すぐにふわりと背中が温かくなる。
「…タガー…」
彼が普段見せないような穏やかな目で、ミストフェリーズの額をぺろりと舐めた。
その視線に応えるべく、顔を上げる。

「多分、歓楽街の裏の…暗い路地、探してみて?」

閉じこもる為の魔法はいらない。
どうせ捨てられない能力ならば、もっと強く、もっと研ぎ澄まして。

ミストフェリーズは途中まで案内してくれたラムタムタガーと別れて走り出す。
手分けして探す方がいいという考えと…一人で行くべきという予感。
「きっと、大丈夫」
己を勇気付ける為に呟いた言葉。


一方のラムタムタガー。
さっきまで一緒だったミストフェリーズにとっては、行動範囲外であろう路地裏。
自分にとっては、ナワバリの中。
しかし、ミストフェリーズに何か考えがあってここまで来たのだ…シラバブを見つけるのは、彼だろうと思える。
「頼むぜ、魔法使い」
それでもじっと待ってはいられずに、夜が降りてくる街を走った。


思いの他、早く辿りつく。
徐々に大きくなっていく耳鳴りに慣れた頃、酒瓶の入った木箱の陰に、淡いはちみつ色の彼女を見つけた。
声をかけようとした時、彼女の視線の先にいる猫に気付く。

ぼろぼろのコート。
地面に座り込み、長い毛は引きずられて埃にまみれている。
そのメス猫が小さな声で歌っているのだと気付いたのは、交互に見やったシラバブの口元が見えたから。

暗い目の、老いた猫。
その目をじっと見つめるシラバブは、まだ少女で。
2匹はとても対照的だ。
いつからこうしているのだろう。

十歩も歩けば届く距離だが、2人がこれ以上に近付いた痕跡はない。
2匹の猫の声は混じることなく、別々に湿った匂いの壁に吸い込まれて…
しかしよく見れば、まるで同じ旋律をなぞっているかのようだった。

踏み出せずにいると…知らない猫の頭上にある、人間の店の看板に明かりが灯る。
いつの間にか止んでいたあの耳鳴りに似た音を出しながら、細く光る文字は途切れ途切れに揺れた。
ああ、この音だったのかと納得していると…歌うのをやめた猫が、その揺らめく音と光を見上げる。
それと同時にシラバブが顔を上げた時、ミストフェリーズは己の目的を思い出した。
声はかけずに傍へ行き、寄り添う。
「…ミストフェリーズ」
驚いた顔をした幼さの残る猫の頬を、そっと舐めてやる。
ミストフェリーズを見て安心した顔を見せたシラバブだったが、すぐに視線をメス猫に戻す。
「…あ」
2人に気付いたかどうか分からないが、立ち上がって路地の奥へ歩き出していた。
足音と、光る文字の出す音が重なる。
「知ってる猫?」
ミストフェリーズの問いにふるふると首を振るシラバブ。
「…みんなが、マンカストラップが、あの猫と話をしちゃいけないって…」

2人の会話が聞こえたのであろうその猫が、立ち止まる。
「…どうして?」
ミストフェリーズは、震えるシラバブの肩をそっと抱き寄せた。
「…分からないわ…教えてくれないの」

振り返らずに、けれどこちらに気付いているメス猫の背を見る。
また耳鳴り。
看板の光が出す音と、耳の奥からの音がジリジリと迫ってくる。
その音をかき消したくて、ミストフェリーズが何か声を出そうとした時だった。


「早く帰りなさい、叱られるわよ」


まず…その声が想像していたよりもずっと優しい事に驚いて。
次に…シラバブの目からこぼれる涙に戸惑った。
「シラバブ…?」
ゆっくりと、しかし確実に遠ざかっていく足音。

「…ひとりぼっち、なんだもの…ッ」

イヤな耳鳴りは弱くなってる。
けれど今度は、シラバブの声に耳を傾けるのが怖くなった。

「…私もひとりだったわっ…あまり覚えていないけど…っ」

マンカストラップが守ってくれていた。
ラムタムタガーやオールドデュトロノミー、ジェニエニドッツ。
みんな、みんな、みんな。

「ひとりで…痛くて、寒くて…怖かったっ」

シラバブはミストフェリーズに縋り付く。

ああ、これだったんだ。
恐怖すら感じる寂しさを思い出させられる。
ざわざわと毛が逆立つ。


ミストフェリーズはシラバブを抱き締めた。

「みんなが助けてくれたの…ッ…ずっと一緒にいてくれるの…」
それなのに。
「…でも、あの人はひとりぼっちだったわ…っ」

他の誰かに手を差し伸べなくてはと想う姿は、まるで縞模様のあの猫そっくりだ。
「わたし…あの人と話したくて、でもマンカストラップが、みんながダメって…」
何故だろう。
いつもなら一番に優しさを見せる彼が、この子にそれを禁じた。
「あの人を追いかけて…こんな遠くまで来ちゃったの…っゴメンなさい…」
心が痛くなる。
“ひとりぼっち”を知っていて、それでも尚強い幼い猫。
自分はどうだろう。

ミストフェリーズはカラカラの喉から声を絞り出して、シラバブを抱きしめる腕に力をこめた。

「…寂しいよね…ひとりぼっちでいるのは」

去って行った猫。
みんなが、彼女を避けるのか。
一体その時、どんな目で彼女を見るのか。

「…ッミストフェリーズ…?」

怖い。
もう、ひとりになりたくない。

僕は知っている。
幼い猫に、大人の猫が、嫌悪を教える時の目を。
「…イヤだよね、ひとりぼっちは…」
けれど、分かってる。
不条理だけど、そこには小さくても理由がある。

「ミストフェリーズ…」
今度は、シラバブがミストフェリーズを抱き締め返した。
優しくて、温かい手のひら。

ああ、そうだ。

僕にはもう、仲間を失う魔法なんてない。
あるのは、みんなを守る為の力だけ。

不安そうなシラバブに向かって、ひとつ深呼吸してみせた。

「…大丈夫…帰ろう、みんなが待ってる」

うまく笑えるか自信がなくて、ミストフェリーズはマンカストラップの笑顔を思い出してみた。
彼はとても、温かい微笑みを持ってるから。きっとシラバブも、彼の笑顔が好きだろうと思ったから。
「……探しに来てくれたのね、ありがとう…」
涙を拭って、小さくごめんなさいを言って目を伏せたシラバブを見て、
この子はみんなが思っているほど子供じゃないのだと感じた。


「…僕も、ずっと一緒にいるよ」
ケンカせずに、きちんと話せたらいいのにね…とも呟く。
シラバブはミストフェリーズの言葉に、もう一度目を潤ませた。

「だから泣かないで…君が今幸せなように、僕ももう寂しくないんだ」

シラバブを安心させる為の言葉…けれど真実。
そして、それを口にして初めて気付く。
自分で自分を貶めるような心は、Jellicle CATS が持ってはいけないのではないかと。
隣にいるシラバブも、みんなも、仲間と自分を信じてる。
去って行ったあの猫は…己を取り巻く孤独と同じだけ、自分を憎んでいるんじゃないだろうか。


もしそうだとしたら。

まるで、この街に来る前の僕みたいだ。

ぞっとする。
自分はそんなにも孤独に囚われていたのだろうか。

「ミストフェリーズ?」
「うん、大丈夫…」

繋いだ手を、どちらからともなくぎゅっと握り合う。

今は、誰より自分を信じてる。
大丈夫。
彼らが、僕を信じてくれてる。
大丈夫。
ちゃんと、心から微笑む事ができる。


「急ごうか、タガーまで君を探してるんだよ」

そのタガーの話では、マンカストラップが泣きそうな顔で君を探してるそうだよ、とも告げて笑う。
シラバブがもう一度ありがとうと囁いて、魔法使いの頬に小さなキスをした。

並んで立ち去る2匹を、点滅しながら照らす弱い光。
ジリジリと鳴るのは、ぼんやりオレンジ色の看板だけで。


もう耳鳴りはしなかった。


鳴っているのは、背中の方に遠ざかるオレンジ色の看板だけ。


初めてCATSを観たときに、シラバブとグリザベラが同じメロディを歌うっていうことにすごく感動して、この話を考えました。
まだこれから、舞踏会の夜までに二匹の間には何か起こるだろうと考えています。

【ひよこ】
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