マタタビなげこみたくなる衝動

a farewell day


白地に黒のぶちがある猫が、散歩道である土手を歩いていた時だった。
後ろから勢いを付けてくる気配は、まだ幼さの残るクリーム色をしたオス猫。

「ラーンパスーぅ!!」

飛び掛ってくるのが分かっていたが、振り返りもせずに歩き続ける。
そしてその声を聞いたのとほぼ同時に、土手の下を白い蝶が飛んでいるのが目に付いた。

「…あれ?…ぶわ…ッ」

いつもと同じならばギリギリのところで避けられてしまうから、前足で地面を蹴って一回転して立ち上がる。

しかし今日、ランパスキャットは背中で彼を受け止めた。
顔面からモノトーンの毛並に突っ込んだオス猫は、大きな目をぱちぱちと瞬かす。

「……なに、どしたの?ランパス」

乗り上げた背中の上から、年上の猫の様子を伺う。

「お前こそどうした、マンカストラップと見回りに行ったんじゃないのか」
「少し遅かったんだ…マンカストラップは先に行っちゃったから、今日はギルと遊ぶ」

少し膨れたように言って、でもすぐに晴れやかな顔に戻った。
そこへもう一匹やってきて、二匹の側で立ち止まる。

「おはようランパス、コリコ」
「おはよー!カーバ」

「………なんだか懐かしい光景だな」
「…へ?なにが?」

コリコパットの疑問にカーバゲッティが答えるより先に、ランパスキャットがわざとらしい溜息をついた。

「あーあ、お前ちっちゃかったんだけどなぁ、こんなに重たくなくて」
「そうそう、ランパスを追いかけるのに疲れるとそうやって背中に乗ってて」

「えぇ?!そうだっけ?」


笑い出した二匹に向かって、恥ずかしさを隠すように大きな声を出すコリコパット。


「…なんだよーオヤジコンビ!教会まで競争だからな!!」

ランパスキャットの背中から飛び降りて、走り出す。


「仕方ないなぁ」

カーバゲッティはそれを追って駆け出そうとしたが、足を止めた。
まだじっと土手の下を見つめるランパスキャットの視線を、こっそり追う。
今までも、この辺りを揃って歩いていた事は幾度と無くあるのに。
何故か今日に限って、ランパスキャットの横顔が違って見えたので。


風に吹かれる草むら。
白い蝶が、緑色の中にひらひらと見え隠れしていた。

何か思い出しているらしい彼の顔を、白い蝶と交互に見る。











どんな生き物でもメスというのは"小さいもの"に愛着を持つようにできている。
だから例え自分が産み落とした子でなくても、守ろうと思えたりするらしい。


そんな話をどこかで聞いたときには、適当に聞き流す風にしながら、"デタラメだ"と心の中で悪態を付いた。
そりゃあ、他人の子猫の面倒までみる奴がいないとは言わない。

でも。
メス猫全てが母猫たるに相応しいとは思えないし。
そうあるべきだとも、思わない。



「みゃーぁ」


川辺の草むらで午後の風にあたりながら、
腕の新しい引っ掻き傷を舐めているのは…白地の毛に黒ぶちのあるオス猫。

ちょっと向こうで白い蝶を追って走っているのは…クリーム色の毛並の子猫。


その毛色に見覚えがあったので周囲を伺うが…数時間前に自分を引っ掻いて去って行ったメス猫の姿はない。
流れ者のようだったから…もうこの街にはいないだろう。
そのメス猫に覚えはなかったが、
どうも話を聞くと自分の子供の父猫が死んだのは俺とケンカして負った傷が原因らしい。


正直、知ったこっちゃないと思う。


まあ相手はメスだったので、白黒のぶち猫はとりあえず軽く引っ掻かれてやった。
睨みつけて威嚇すると、その子連れ猫は悲しい顔で去っていったのだ。

ちらりと子猫を見やる。


「…置いてかれたか」


めずらしい事じゃあない。
少しでも鈍くさければ、母親や兄弟からはぐれてしまうものだ。
ぱっと見で5匹ほどだと思ったので、母猫にしてみれば1匹くらい減ってもそう未練はなかろうなと思う。

「ふみゃぁ」

鼻と耳をひくつかせ、こちらを見る子猫。
その毛並は、先程のメス猫とよく似ていたが、小さな彼はオス猫のようだ。
争う訳にもいかない小ささなので、大人として先に目を逸らす。
近付いて来た子猫には構わず、ごろりと寝転んだ。
まどろんでいると周りをウロつく気配がなくなったので、しばらく眠る。

柔らかな風が耳を掠めていく音と、土手の上を行く人間の声。


「――…!」

眠っていると突然の感覚に全身の毛が逆立って、目を開けるより先に飛び起きた。
いつの間にか脇にぴったりくっついていたらしい子猫が、寝起きの目を見開いてこちらを見ている。

「……あのなぁ、」

自分の白い腹の一部が湿っているのを確認してから、子猫を見る。

「俺は乳なんぞ出ねえよ」

メス猫と違って何の機能も無い彼の突起を、子猫が寝ぼけてしゃぶったのだ。
まだ言葉を理解していないらしい子猫だが、それでも険悪なオス猫の顔を見て身を縮める。

油断してしまって、驚いて、何も分からない子猫に向かって話す自分が滑稽で。
居たたまれない気持ちになったぶち猫は、子猫に背を向けて歩き出した。


ああ。
まずい、まずいぞ。
大失敗だ。


声に出さずに、心の中で自分を叱咤するが案の定…子猫はしっかり後を追ってきていた。
しかもキョロキョロとよそ見をしながらなので何だかとても危なっかしい。


――まいてしまおうと思えば、できる筈なのに。

時折後ろでよろけているのが気配で分かって、気が気じゃない。
間違いなく自分を追っているのに、声ひとつ出さずにただ後ろを歩いている小さな猫。

ちゃんと歩けるじゃないか。

どうして。
どうして、そうやって母を追わなかった?

子猫自身が置いていかれた事に気付くのは、おそらくもっと後だろう。

気付いて。
それで?
母を、兄弟を、恋しがって鳴くだろうか。


――振り切って去る事が、できない訳ではないのに。

どうして俺なんだ。
どうして俺について来るんだ。


――イラ立つ自分に、尚の事不快感を抱いて。

きっとこの子猫は、他より鈍くてぼんやりしているのだろう。
そんな猫は、いくらでもいる。
母猫ともう少し一緒にいられたとして、きちんと大人になるかは別の話だ。


逆に…ひとりきりでも、生き抜ける猫はいる。
それはとても楽な生き方ではないが、そうして生きる猫を…自分はよく知っている。



――目を細めて、唇を噛んで、後ろの子猫の気配を感じて。


どうして、ちゃんと母に付いて行かなかった?
兄弟に踏まれながらでも、しっかり歩いて行かなかった?
母猫とはぐれて、これからどれだけ寂しい思いをするか分かってるのか?


――それは今日出会った子猫への問い。


――かつて子猫だった自分への問い。


ひとりで生きろ。

そう言いたい。
その末に掴む何かがあるのを、よく知っている。

あの途方もない孤独を。
恐ろしかった夜の闇を。
数え切れない、見えない痛みを。

自分は知っている。
他にも、多くの猫は知ってるだろう。
知っているから、持ち得るものがある。


じゃあこの子猫は?
知るべきだろうか?


迷って。

迷って。

戸惑って。


――ついに歩みを止める、白地に黒いぶちの猫。


「…おい」


振り返って呼ぶと後ろの方で、道に落ちている紙くずにじゃれようと足踏みしていた子猫が顔を上げた。


「お前の名前を聞いてやる」


静かに口を開いたぶち猫の声は少し震えていたが、子猫には分からない。
じっと動けずにいる子猫に歩み寄って、その華奢な首元に額を擦り付けた。


「今は言えないだろうから、お前が名乗るまで…面倒見てやるよ」


全てのメス猫が、子猫を我が身のように大事にする訳じゃあない。
そうする猫も中にはいるかもしれないが。

もし全てのメス猫がそうであったなら、自分の記憶の一番奥にいる白と黒のメス猫は、
自分を置き去りにしたまま、どこかへ行けた筈がないのだから。


自分がひとりになったと気付いた後に覚えているのは…

途方もない孤独。
恐ろしかった夜の闇。
数え切れない、見えない痛み。


「……知らなくてもいいのかもな」


呟いた白黒ぶちのオス猫の頬を、クリーム色のオス猫がぎこちなく舐める。
白黒のぶち猫は小さく笑って、子猫の頬と背中を舐め返す。


仕方がなかった。
あれはいつか必ず訪れる別れ。
少し…ほんの少し早かっただけ。


子猫はぱちぱちと大きな目で彼を見上げ、力強くにゃあと鳴いた。


二匹の側を、くるくると飛び去る白い蝶。









「ランパス」

何度か呼ばれて、自称・紳士な友人を見る。
遠くから、かつての子猫も自分達の名を呼んでいた。

「…ああ、行くか」

もう小さくないクリーム色の背中。
あの日、自分を追いかけてきた子猫は…もう自分と並んで走る。


「早く行かないと置いてかれるよ」

「誰に向かってもの言ってんだ」


二匹を振り返っていたコリコパットは、彼らを見てまた走り出す。



ランパスキャットはもう一度立ち止まって、緑色がなびく土手を見下ろす。

今日はもうそこに、白い蝶の姿は見つけられなかった。



うちのランパスとコリコの出会った日の話。
私の中では、かなりコリコが幼な目な設定なので…まあ、こんな感じだぞと。

タイトルの『a farewell day』は『別れの日』
出会い話だけど、別れの日。
コリコが母猫とはぐれて、ランパスと会った日。
ランパスはコリコと出会って、自分の子猫時代からの思いと別れた日。

コリコはこの後、ランパスに面倒見てもらいながら大きくなります。
でもランパスは面倒見るっつってもかなり適当というか放任なので…
親子というより友達感覚…そのうちコリコはギルやカーバとも仲良くなって
最終的にはリーダーであるマンカストラップに憧れる青年猫に!!という展開(私の心の中では)

しかし、ふざけた話を書くつもりがいつの間にか結構重い話に…?
でも、仕上がりは大変気に入ってます。


2005.11.8 【ひよこ】

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