マタタビなげこみたくなる衝動

王子様と私

大きな部屋、何に使うのか分からない様々な形の道具。
こっそり開けた扉の向こうを見上げる大きな目は、未知に魅了される。
全てが大きくて、ピカピカで、初めて目にするものばかり。

カシャ、ぽたん。
カシャ、ぽたん。
カシャ、ぽたん。

規則的に響く音の方へ顔を向けると、白い服と帽子が見える。
大きな部屋にただ一人居た相手はこちらに気付いていないようで、何かしながら鼻歌をうたっている。
「何をしてるの?」
「キャッ」
ごしゃ。
それまで軽快だった音は突然鈍くなり、止んだ。
「ここへは初めて来たんだ、何をする場所?その手に持ってるものは?」
「ああーびっくりした!卵の殻が入っちゃうじゃない……ちょっとぼうや、どこから入ってきたの?」
大きな器に大量の卵を割っていた男は、慌ててフォークを持ってくる。
小さな侵入者は男が自分の質問に返答しないことに腹を立てかけたが、それよりも目の前の器の中身が気になった。
「それぼくにも見せて!何してるの?!」
男は金属ボウルの中の大量の卵に落ちた殻を取り出し、側でぱたぱたと跳ねる少年を見下ろす。その時初めて、おそらく裏口からやってきたであろう侵入者が驚くほど整った身なりをしていることに気が付いた。
「ここは調理場、王子様のいらっしゃる場所じゃありませんよ」
調理台に手をかけて背伸びしていた少年は、隣に立つ男が自分の身分を知っているのだと理解して身を竦める。大人たちは皆恭しく頭を下げながらも、決して寛容ではないからだ。
せっかく見つけた新しい場所から追い出されるのだろうと思い、少年は調理台に置いた手を引っ込めて俯く。
「わたしが持っているこれはレードル、鶏の卵はご存知です?ここへぶつけて殻を割ってるんです、今日は三十個……あと十個くらい、ご覧になります?」
男は少し離れた場所にあった踏み台を指して、あれを持って来れば調理台の上が全部見えますよと笑った。
「私はいま忙しいので、大変申し訳ないですけどご自分でなさってくださいね」
消沈した様子から再び目を輝かせた少年は木の踏み台を運び、念願の器の中を覗き込む。
「これで何をするの?」
「オムレツを召し上がったことは?」
「ある!好きだよ、とても!」
「これに味を付けて、混ぜて、焼いたらオムレツになります」
「ほんとうに?!どうやって?ねえそれもっとゆっくりやって、わからないよ!」
「まだ他にも準備しないといけないものがたくさんありますから、ゆっくりはできません」
そう言う間も男は残りの卵をレードルに当てて割り、卵に異常がないかを確認してボウルへ落としていく。

カシャ、ぽたん。

不思議な音はこれだったのかと少年が納得する頃には、カゴに入っていた卵が無くなった。
「りょうりを作ってるの?ここで?お前が?」
「わたしはまだ新人ですから下準備だけです」
「じゃあ誰がつくるの?」
「シェフですよ、準備が終わる頃に来ます」
「お前はシェフじゃないの?」
「厨房助手といったところね」
理解しているのかいないのか、少年はいくつもの疑問符を投げた後、ふうんと調理場を見渡していた。
「王子は何がお好きですか?」
「ぼくは海がすき」
厨房助手だという男は好きな食べ物について尋ねたつもりだったが、棚からぶら下がる調理器具を眺める少年は海が好きだと答えたので苦笑い。卵の殻を捨てて手を洗い、質問を変える。
「海がお好きなら……海にすむお魚はいかがです?」
おいしいでしょう?と男はうっとりしていて、しかし少年はすぐさま首を横に振った。
「サカナはいやだよ、ぼくあまり好きじゃないんだ、味もにおいも」
言ってから、少年はハッとしたように曇った表情を隠す。人前で好き嫌いを述べてはいけないと、いつも教わっているからだ。
少年の心境とは無関係に、男はボウルを抱えて中身をかき混ぜつつ、もったいないわと大きな溜息をついた。
「ここは海が近いから、魚も貝もとっても新鮮なのに」
少年は考え事を忘れて男の手元に見入る。彼は言葉使いや声のトーンは女性のようだったが、働きぶりは力強い。
しばらく見ていて、新たな疑問をぶつける。
「サカナを食べるのがすきなの?」
「もちろんいただくのも好きですけど、それ以上に素晴らしいのは、おいしく調理すること!」
うふふ、と笑う男の手元ではボウルいっぱいに橙色の液体ができあがっている。
「おいしくできるの?」
「できますよ、わたしならね」
「でもぼくはいつも……あまり、」
男は自分が仕える城の王子がどんな人物であるか初めて知った。
とても素直で、とても賢い。だから普段口にする食事に不満があるのを隠せないが、それによって誰かを非難することはない。
理屈を理解するのはまだ先だろうが、人の上に立つのに必要な事を身に付けつつあるのだろう。
子供らしい素直な感想と、言葉を濁す年不相応な振る舞い。どちらもとても、愛おしい。
「調理する人が変われば、料理は別のものになります……今は王子のお口に合うお魚料理が出せなくて申し訳ありません」
「ぜんぶじゃないよ、好きなのもあるし……」
慌てる王子に向かって微笑んだ男は、仕事する手を止めた。
「それは良かった、それなら王子がすべてのお魚を嫌いになる前に……」
男は人差し指を唇にあてて、小さな声で言う。
「わたしがシェフになって、本当に美味しいお魚料理をお出しします」
でもこれはまだヒミツですよ、と男は真剣な顔をした。
王子は大きな丸い目で男を見上げ、こくんとうなずく。
他人と『秘密』を交わすのは初めてのことで、この調理場への扉を開けて来たときと同じ、いやそれ以上の高揚感があった。
「早くたべたい!」
「では急いで出世しなくちゃなりませんね、わたしがシェフと呼ばれるまでお待ちいただければ良いのですけど……」
卵をよく混ぜ終えた男は、次の作業にとりかかる。たくさんの野菜を刻まなければいけないし、お湯を沸かし始める時間だ。
「ぼくが……、」
「はい、何です?」
大きなずん胴鍋を運ぶ男が振り返ると、小さな彼は踏み台から降りるところだった。
「ぼくが王子だと分かっても、お前はここから追い出さないんだね」
怒られるかと思った、とつぶやく。
「怒られるようなことをしておいでだと、思っていらっしゃる?」
男は休まずに、桶に溜めた水の中へ大量の芋を放り込んで洗い始める。王子はそれについても何をしているか知りたい気持ちがあったが、それよりも男の言葉に耳を傾けた。
「あなたはちゃんと分かっているのだから、わたし以外の誰かがここへ来る前にお部屋へお帰りになるでしょう、だから私が怒る必要などないでしょうし……」
あなたが怒られることもないでしょう、と男は一度だけ視線を向けた。そうしてまた水仕事の続きを始めて、何か楽しげに歌いだす。そのどこか調子の外れた歌を聞きながら、少年は男の言葉を頭の中で繰り返した。
初めは難しい言葉で誤魔化されたように感じたのだが、そうではないと思えてくる。

「また来る」
「あら、もうお帰りに?」
頷いた少年は、部屋をぐるりと見回して微笑んだ。
「次はグリムスビーに頼んで、ちゃんとここを見せてもらいにくる」
男もうなずいて、微笑み返す。
「そうですか、お待ちしております」
トコトコと裏口へ向かうのを追いかけて先回りすると、男は扉を開けて外の様子を伺う。
城の裏とはいえ見回りの兵士は幾人もいるし、使用人が行き来する場所だ。
「こちらからいらしたのですか?」
「もちろん、誰にも見つからずに帰るさ!」
お気をつけて、と男が送り出そうとしたところで王子は口を開く。
「お前の名前を聞いていなかった」
男は少し驚いて、微笑んだまま深く頭を下げた。
「これは恐れ入りますエリック王子、わたしはルイ、厨房助手のルイでございます」
「シェフ・ルイになるんだろう?」
「まだ先の話です」
男が慌てて人差し指を口に当てると、王子も同じようにした。
「わかってる!ヒミツだな」

小さな彼はふわりと駆け出して、石造りの通路に響くちいさな踵の音はすぐに聞こえなくなった。


「あれから十年……あんなに小さかったエリック王子が、もう二十一歳になるなんて」
感慨深いわあ、とつぶやいたシェフは今日入ってきた食材を見つめる。
三日後に迫った王子の婚約を祝う晩餐会のことも考えつつ今夜のメニューを思案し、大きく頷いた。
調理場を振り返り、手を叩く。

「はーい注目!みんないーい?今夜のメニューは……」

<END>


久し振りの更新が思わぬ角度から飛び出しましたけれど。
アニメはともかく舞台だとルイとエリックが仲良しっぽくてとてもかわいいですv
色々あって、まあ白状すると中の人的な色々がありまして、シェフルイが大好きです。
(基本的にいつでもぶっちゃけていく方針)
シェフルイの中の人のアレな小説本とか売ってますので、もし宜しければイベントでお会いしましょうマドモアゼル。

【ひよこ】

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